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デザイン

桂離宮。

さて先日の続き、というか本題です。

桂離宮は、後陽成天皇の弟である八条宮初代智仁親王により、

宮家の別荘として創建されたもので、

その後、二代智忠親王によって現在の形に完成されたものです。

その期間、なんと50年。

かのブルーノタウトが「現代における最大の世界奇蹟」と賞賛したこの離宮。

一体どんな場所なのか・・・

因みに、桂離宮は自由に見学はできません。

事前に申し込みをして宮内庁から「許可」を貰った上で、

案内をしてくれる職員さん(ガイド)に説明を受けながら見学します。

桂離宮の見学記は、ググれば沢山出てきますので、

気になる方は是非調べてみてください。

 

今回私たちが感じたのは、日本人のデザインの原点なるものはこの時代に既に完成されていたのだということ。

デザインは極めるほど、華美な装飾から脱却し、

より純粋・単純なものに戻っていくのではないかということ。

今の新しい発想やデザインを造り出す人たちは、

閃きで造っているようで、

実はいかに歴史のデザインを勉強してきたかにかかっているのかもしれません。

そう思わせてくれるぐらい、

桂離宮というのは形式通りであり革新的であり、凄いところでした。

350年以上前に建てられたにも関わらず、

現代に照らし合わせると、

いくらでも共通点が出てくるぐらい。

 

例えば、「松琴亭」。

加賀奉書の白紙と藍で染めた紙を市松に張り上げた斬新なデザインの襖は、

言わずもがな、桂離宮の象徴的なデザインです。

大坂土といわれる酸化鉄を多く含んだ赤みのある黄色土との絶妙な取り合わせは息を呑みます。

ガイドさん曰、「本当に綺麗でしょ~。張り替えたばかりなんで!」

興味のある方は、早めに行かれることをお薦めします。

綺麗な発色で見学できますよ~。

尚、この松琴亭には、手水鉢が見当たりません。

何故かというと、周りの池全体が松琴亭の手水鉢とのこと。

何とも遊び心のある演出です。

 

この有名処以外にも、見所は沢山あります。

 

「外腰掛」。

前述の松琴亭へ向かう手前にある待合のための腰掛です。

もたれかかったら折れてしまいそうなぐらい華奢な丸太柱で支えられた繊細な腰掛の前には、

薩摩島津家から献上されたという、雄大な蘇鉄(南国ムード漂う、あのソテツです。)が。

アガベやサボテンなどの植物が人気の現代と同じで、南国のものだった蘇鉄はまた珍しく、

人気だったんだろうなぁ、と勝手に想像してしまいました。

 

「笑意軒」。

まず、目を引くのがこの「笑意軒」の文字。

曼殊院良恕法親王という、創建主 八条宮智仁親王の兄弟という人物の書です。

無知であることが露呈してしまいますが、昔の書道というのは、正統派な文字を書くものだと思っていました。

この時代にはもう、こんな自由な書があったんですね。

空間に広さを感じさせるために、間仕切りの上部は垂れ壁にせず、空間を繋げているところなど、現代の住宅にも応用できる気がしました。

歴史を学ぶと、答えは見えてくる!

 

「月波楼」。

見学のルートとしては、終盤に出てくるものです。

池辺に建つ、この茶亭は、池に映る月を鑑賞するために造られたとか。

舟底を思わせるような天井は、デザインでありながら、実はすべて構造体であったりします。

その他にも、屋根から延びる竹の造作物。

これは、軒樋の役目をしています。

実用性とデザイン性を兼ね備えた機能美です。

 

こうやって見学していると、1時間はあっと言う間に終わり、見学終了です。

いろいろ刺激を受けて、次の物件にどう生かすか、私の頭はいっぱいです。

そのまま真似するだけでは、ただの「キッチュ(俗悪品)」になってしまいますから。

因みに、この「キッチュ」。

ブルーノタウトが著書の中で、何度も使う言葉です。

単に表面的な部分だけが取り上げられて、中身がない、もの。

 

今から建てる物件を見た方が、

「ここは影響を受けて、生かされたんだな~」なんて、ちょっと感じて貰ったら嬉しいです。

 

表面的に影響を受けて、主人が履いている靴・・・

キッチュ(笑)